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日本の風景

「蝶々夫人」は、ジャコモ・プッチーニのオペラ作品です。初演は1904年。はじめは不評でしたが、改訂を行い今では著名なオペラ作品の1つとして数えられるようになりました。日本が舞台となったオペラであることから、日本での知名度も高い作品です。また、あまり知られていませんが、もともとは小説やそれをもとにした戯曲に影響を受けて作られたオペラです。

今回は、蝶々夫人のストーリーに着目してご紹介しましょう。

「蝶々夫人」のあらすじ

第一幕

物語は、仲人ゴローが、アメリカ海軍士官ピンカートンに新居を案内するところから始まります。彼はゴローに日本人の蝶々さんという女性との結婚を斡旋してもらい、一緒に暮らすつもりでした。

しかしピンカートンはは結婚を一時的な楽しみと見ており、いつでも破棄するつもりだったのです。その軽薄さをアメリカ領事のシャープレスにも警告されますが、ピンカートンは耳を貸しません。

そこに蝶々さんと芸者仲間が現れます。(「さあ一足よ」)蝶々さんは没落した士族の出であり、ピンカートンとの結婚を真剣に考えていました。彼女は自身の宗教を捨ててキリスト教に改宗してすらしていたのです。

結婚の儀式が済んだ頃に蝶々さんの叔父ボンゾが現れて詰問しますが、ピンカートンが彼らを追い払います。これで蝶々さんは家族から完全に勘当されてしまいました。

第二幕

物語は結婚から3年後、ピンカートンがアメリカへ帰国した後のシーンから再開します。蝶々さんの女中スズキは蝶々さんのために祈りを捧げつつ、ピンカートンは戻ってこないだろうと考えていました。それでも、蝶々さんはピンカートンが戻る日をずっと待っているのだと歌います。(「ある晴れた日に」)

アメリカ領事シャープレスが蝶々さんを訪ね、彼女にピンカートンからの手紙を持ってきました。手紙はピンカートンが戻らないことを示唆しており、シャープレスは蝶々さんに新しい結婚を勧めました。しかし、蝶々さんはピンカートンが去った後に産んだ子どもを見せ、「ピンカートンが帰ってこなければ芸者に戻るか死ぬ」と言います。ピンカートンは同情を覚えながらもその場を去るしかありませんでした。

第三幕

アメリカの船が港に現れたので、蝶々さんは喜んでピンカートンを待ち続けましたが、一晩待ってもピンカートンは現れませんでした。蝶々さんが寝室に入ってからピンカートンとシャープレスが現れ、女中のスズキが対応します。スズキは女性……ピンカートンの新しい妻ケイトに気づきました。

シャープレスはスズキに、蝶々さんの子どもをケイトに預けるよう頼みます。ピンカートンはここでようやく自分の過ちの大きさを認識し、後悔しました。しかし、それでもピンカートンは蝶々さんと直接会う勇気を持てません。(「さらば愛の家」)

ピンカートンの代わりにケイトが蝶々さんに会い、子どもを引き取って良い生活を提供することを申し出ました。蝶々さんは彼女の提案を受け入れ、ケイトを祝福し、子どもの未来のために承諾します。

そして、決意を固めた蝶々夫人は息子にさよならを言い(「さよなら坊や」)、息子に目隠しをしてから、自らに父の遺品であった刀を突き立てます。異変を感じたシャープレスとピンカートンがやってきますが、蝶々さんは息絶えていたのでした。

「蝶々夫人」の良さ

蝶々夫人はオペラの中でも人種差別的として批判も多い作品で、難しいところですが、オペラとして鑑賞した時に名作であることは疑いようはないでしょう。ピンカートンと蝶々さんの間に生まれた悲劇的な誤解は、ピンカートンの性格があまりに軽薄であったことが大いに影響しているにしても、異なる文化による価値観が衝突する結果であったと捉えることもできます。互いの理解と尊重の重要性を改めて教えてくれるオペラといえるのではないでしょうか。