私の生活において、外車は単なる移動手段ではありません。車は自己表現であり、私の自由を象徴する存在なのです。今回は、私が外車の虜になった理由、外車が好きな理由について、少しお話したいと思います。
外車との出会い
思い返せば、子供の頃に旅行で訪れた町の広場で初めて見た外車に心を奪われたのがきっかけだったかもしれません。最初に心を奪われたのは外見でした。感性に訴えかける曲線、輝くボディ。そして、走っているときの力強いサウンド。まるで大地すれすれに滑空する鳥のようにも見えました。当時、両親が載っていたのは国産車で、それは別に不満はなかったのですが。移動手段に満足感や充足感を覚えるという発想が生まれたのはこのときだったでしょう。
その瞬間から、私の中で情熱が燃え上がりました。子どもの頃はただ見るだけでした。でも、大人になったら我慢できなくなり、自分で運転したいと強く希望するようになりました。細部に至るまでの美しさ。こんなに綺麗なものがパワフルに走るなど夢のようでした。
見えないところにもこだわるデザイン
先ほど私が、外車の外見に心を奪われたというお話をしたように、私がもっとも魅力的に感じているのは、そのデザインです。一部の人々にとっては、これはただの鉄塊にすぎないでしょう。国産車のほうが、日本で走らせるには便利なのも分かっています。けれど、私にとっては避けられないこだわりでした。どうしても、車を単なる移動手段として見たくなかったのです。
外車は、細部に至るまで計算され尽くされた美学に基づいて設計されています。金属板を1mmのズレもなく自然な曲線に仕上げるのは、たいへんな労力がかかることでしょう。それに、これは高級国産車にもいえることではありますが、普段は見ない部分にもしっかりと塗装がされているのが分かります。
安価な車にも美学はあり、見えないところには手を割かないというミニマルで機能的な美しさもあることは知っています。しかし、私は、たとえ見えない場所も当然のように着飾るほうが共感できます。もしかすると、見えないところまでこだわる職人の精神に惹かれているのかもしれません。
エンジンの鼓動
私が外車を愛する理由をあげればキリがありませんが、そのパワフルなエンジンの鼓動にも触れておかなければなりませんね。エンジンを始動させてアクセルを踏み込む瞬間は至福の時です。エンジンが鼓動するパワフルなサウンドは、私がいつでも自由であることを念押ししてくれるかのようです。車に乗る前までに感じていたストレスや心配事はすべて消失し、ただ前へと進む喜びだけが心を満たすのです。
外車が好きな理由は、とても言葉では語り尽くせません。皆さんの中にも、外車の魅力に共感してくださる方がいれば、こんなにうれしいことはありません。
それではまた。どんな旅に出るにも、良い一日になることを願っています!